30年かかってしまった事。


最近 わかった事がある。
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その前に前提として、所詮人間ってやつは、孤独なのだ。
責任や苦痛、努力、成功、全て自己責任。
家族がいても、友達がいても、恋人がいても、結局孤独なのだ。
(これを聞いたら、私の家族や親しい方々は、悲しくなるかもしれない。だが、あえて。)
同時に個人的に、人間不信や劣等感というものは、
どんなに愛されようとも、決して癒される物ではないと思っていた。
私の劣等感は そもそも3歳位から、牛乳ピンメガネをかけていたことから始まる。
そこからたくさんの劣等感が、雪だるま式に膨らみ(コンタクトにしてからも膨らみ)
26歳くらいまでには 巨大な固まりとなった★
だが、しかし。その劣等感は、私に《負けん気》と《持久力》という 副産物を生み出した。
劣等感のおかげ(?)で 私は、逆に明るく元気な奴になった!!
全ては、虚栄を張るためだろう。
無駄に明るく無駄に元気!!
さて、わたしが何、最近を発見したかというと、
劣等感と人間不信は、性格の一部ではない。という事。
ここ最近 たくさんの再会や再連絡があった。
それにより いままで、うやむやにしてきたトラウマに向き合ったり、
これまで生きてきた中で、私を愛して(少々大袈裟!!)くれた人が居たことに気付いたのだろう。
そして雪だるまは暖められ、溶かされたのだろう。
もう一つ。忘れてはならないのは、南青山のSPCAEと代官山のアステリズム!!
数年前から、この2つのお店が 作家として認めてくれたから、
私に自信というものを与えてくれたから。
そもそもだから、劣等感の雪だるまが 転がるのを止めた。
感謝してもしきれない。
雪だるまが居なくなるまで、30年もかかってしまった★
でも、もう劣等感も 人間不信も 虚栄もなくなった☆
明るさと元気は残った!!
でも《無駄な》ではなくなったo(^-^)o
劣等感というやつは 私を最も成長させた力だろう。
そんな、育て親から独り立ちしても ちゃんと成長できるだろうか?(ちょっと不安)
最近 《病んでる》って言葉が、普通通用する。
《病んでる》とは、心が壊れちゃった状態。
 
今年のはじめ 自殺も多かった。
私自身も数年前まで 少々《病んで》た、一人だろう。
私が ものすごく、すさんだ時期があった。
当時 自分しか見えてなかったから、誰も手を差し伸べてくれない事が腹立たしく思えた。
そこで、人間は孤独という原点に返ってくる。
では、他人にできることはないのか?
それは そこに居てあげる事。
私の居て欲しかった人々は、揺るぎなくそこに立ち続けてくれた。
今だから、わかる。
居てくれたから、自分が完全破壊しなかったのだと思う。
そして、立ち続けていた事の大変さと、救えない大変さを。
今度は私が立ち続ける番だ。私の愛する人々のために。
ねぇ、もの事《その時》がくると驚く程、自然と解決するんだよ。
《その時》が来るまで、私はここに居るよ。


“30年かかってしまった事。” への4件のフィードバック

  1. 私も劣等感を原動力に頑張ろう。
    負けそうな時は「愛情1本」の3000をお願いします。

  2. アケオメコトヨロです。
    僕も小さい頃から高校まで牛乳瓶の底メガネかけとりました。(で今は治ってしまいましたが!)
    時にコンプレックスをバネにとか、逆境をチャンスになんて云いますが、勇気が大事だなーって思いましたよ。

  3. ナガシさん←nana
    コメント遅れてごめんね!!
    愛情一本補給必要な時はカワチで購入して届けるよぉ!!
    お互い人付き合い課題だよねぇ^^;

  4. はるきさん←nana
    コトヨロコトヨロ!!
    えっ牛乳瓶仲間だったなんて!!
    そうそう、逆境やコンプレックスをバネにできるようにするには、
    強さと勇気が必要ですね。
    口で言うのはたやすいですが実践は大変ですよね~。
    お互い目を大切にしませう!!

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