実は脊髄腫瘍がみつかってね、摘出手術した。てか、してもらったと言うべきか。
背骨に腫瘍って症例が多くはなくて、盲点なんだって
これを発見でき、一気に摘出できたのは、かなり幸運だったに違いない。
最初に違和感感じたのは、二年程前。友人達と都内で飲んで(飲めないけどさ(笑))
終電に間に合わない〜!!とダッシュしようとした時、200メートルくらい走ったら突如失速。
その失速ぶりが異常で、唖然とした時だった。
その1年半程後の夏に、太腿の皮膚に火傷のような痛みが起こった。
世間では《サーフィン大会のTシャツロゴによるアレルギー》が取り沙汰されていた。
報道されてる症状と似てると思ったから、皮膚科に行ったが、なにもわからず、改善もせず、通院をやめた。
そして、飲酒運転の車に突っ込まれる事故。皮膚の痛みは断続的にあったけれど、それどころじゃなくなった。
2017年2月になると、《皮膚の傷み》は《皮膚のしびれ》という認識に変化した。
同時に足が重くて動かなくなった。
「事故の影響で、仕事も運動も制限されてたから、運動不足で足が動かないんだ〜〜身体を鍛えるために走る練習しよう!!!水泳も再開しよう!!!」
工房で毎日少しずつ走って、気合い入れるために新しいトレーニング水着も買った。
しかし、無情にも足はどんどん動かなくなった。 2017.2.19既に麻痺が始まっていた
大好きな、滝巡りに行っても山歩きが辛いし、脚がフラフラしてバランス感覚が無く山道が怖かった。
そのうちに、二本足で平らな場所に立っているだけで、よろけるようになった。
でも、見た目は元気にしか見えない私。
誰もが「気のせいだよ。」「若くないんだから。」としか言わなかった。
私自身も負けん気から、不自由を気付かれないように、振る舞い続けた。
そんなタイミングで人間ドックがあった。ただのバイトに、人間ドックを施してくれる会社に感謝!!!
問診で「最後に、何か気になることありますか?」と尋ねられた。
「足の皮膚が痛いというか、痺れるんです。脚に倦怠感もあって...。末端が冷えて真っ白になったり。」
とモジモジしながら言った。
どうせ「気のせいでしょ」としか言われないと思ったから恥ずかしかった。
予想外にもまともに取り合ってくださった。
坐骨神経痛の可能性と、冷えの症状は、膠原病の可能性も示唆された。
どちらの病気もうなずけるが、どちらも腑に落ちなかった。二つの病気の怖さだけがインプットされ、
同時に、脚はどんどん動かなくなり、皮膚の痺れは腹部まで達した。
「推測で怖い思いしてるより、さっさと病院行こう!!!」
家から一番近い病院で膠原病検査をしている事を知り、受診してみる。
まともに取り合う気がなさそうな対応。「皮膚科に行ったらいいんじゃないんですか?」
「行った結果、何もわかりませんでした。皮膚の問題じゃないように思えるんです。」「それは病院の選び方間違えてるよね。違う病院行ったら?」
...確かに私は健康そうにしか見えないけどさ、これだから病院は嫌いだ。完全にふてくされた。
どうしてもと言うなら、しますかね〜思ってそうな態度で、膠原病検査に廻された。「結果は2週間後以降です。」
次に、交通事故で、お世話になっている矢作整形外科に行った時、院長先生にその相談した。
「いや〜。君は変形は見られるけどまだ、坐骨神経痛ではないはずだよ。首もムチウチ症以外の異常は無いはず。
どれ、試しに片足立ちしてみて」
トライするものの、数秒と立っていられない。看護師さんが慌てて私を支える。
「あれ?前はできたよね?脚気もみてみよう。」
私の膝をコツコツ叩く。脚がピョンピョンする。
「これは反応し過ぎだね。次回MRIの予約入れよう。」
馴染みの医師がきちんと向き合って下さった!!
それだけでも安心したが、症状は一進一退しながらも確実に進んだ。
3月16日矢作整形外科にMRIを受けに行った。もう何度も慣れきったMRI、終わらせて帰ろうとすると、
「次、診察ですね。」「え?診察予約していませんが。」「ですが、診察入ったんで。」...
嫌な流れだな〜。
診察室に入ると「出たね。」と医師。
「ほら。これだね〜腰や首にできる事は多いんだけど、背骨にできてるね〜」
指し示された写真は素人でも、すごくわかりやすく異物が映っていた。
「この黒いラインが脊髄ね。見てわかるでしょ、これ腫瘍だね。
背骨の中で、ここまで成長しちゃって脊髄を圧迫してるんだね。
これで、君に起こっている症状が全て説明つくよ。
これは、長い時間かけて成長してきたものだろうから、事故とは関係ないね。」
兎にも角にも原因がわかり、不思議な安堵が一瞬訪れた。
「背骨は私は専門じゃないけれど。ココにできるのは多くの場合悪性では無いよ。
でも、ここまで成長して、麻痺症状も出てるから、早めに専門医のいる病院に移った方がいいね。
おそらく、手術が必要だろうね。」
え〜と。会社は仕方ないとして、工房の方は近々納品しなきゃだよな〜。
仕事にだけは穴空けたくないな〜。
でも医師のデスクの上のMRI画像には怪しく黒い影。腫瘍。不思議な安堵は一瞬で過ぎ去った。
背骨の専門医の居る病院に次の日には転院。
矢作整形外科からの紹介状とMRI画像を、見た医師は丁寧に説明をしてくださり。
最後に言った
「もう、今日から、今この診察から、手術の準備をした方がよいですね。
そのためにもっと丁寧にしっかりと説明したいので、手術のための検査をこれから受けてもらえますか?
その間に私は他の患者さんを診察し、最後に改めてあなたの時間を取りましょう。」
検査は手術に耐えうる身体か?感染症を持っていないかを調べるものだった。
全て終わって、待合室に戻ると満パンだった待合室は人影まばらだった。
ホントに最後なんだな〜冗談にできる状況じゃないんだ〜納品ど〜しよ〜
ぼけ〜っと考える。でもあまり怖くなかった。
ようやく呼ばれた。
まず、このまま放置すれば、腫瘍は成長し脊髄をどんどん圧迫し、脳からの指令も届かなくなり腫瘍の位置から下の神経が麻痺し、歩けなくなり、排泄も困難になるだろう。
でも、悪性腫瘍である確率はかなり低い反面リスクの高い手術なので、腫瘍が大きく無ければ手術はオススメせず、経過観察をするけれど、既に腫瘍が大き過ぎてその段階ではない。
手術が遅れる程に、進行が進むだけではなく、麻痺の後遺症が大きくなる。というのが病気の概要だった。
更に手術の概要を。背骨のドリルで砕いて、硬膜という脊髄を収納している膜を切り開いて、腫瘍を摘出する。状況によっては骨盤を切り取り骨を補ったり、人工関節が必要。
脊髄を収納している硬膜まで切り開くため、髄膜炎にかかると死に至る恐れがあるため髄液コントロールをするので、一週間から10日程寝たきり生活。
その後三ヶ月はコルセット。
「でも。良くなる為の手術ですから、今よりはよくなるでしょう。元の身体の6割位にはなるかもしれませんね。
とは言え、この病院でも手術できる医師は一人しか居ませんで、その医師の手術予定は5月末まで埋まっています。
でも、そこまで放置したら、アナタは歩けなくなっているかもしれませんし、後遺症もひどくなるでしょうね。
放っとける状態ではないので、週明けの会議で対応を協議しましょう。」
3月末の検査入院の予約を取り、帰途についた。もう夕方じゃん。病院に丸一日居たな〜。
気持ちもとっぷり暮れていた。
続く〜
でも無事だからね